9ページ目の白川総裁の回答より。
(答) まず、現金に関するご質問ですが、金融市場に対する資金供給は日本銀行が能動的に資金供給オペレーションを行い、それに対して金融機関が応じるわけです。一方、現金は、民間金融機関が日本銀行に預けている当座預金を引き出して現金化するという、金融機関からの要望に応えて、日本銀行が供給するものです。先ほどの550億円という金額は、金融機関が最終的に予想される被災地のお客様の預金引出しニーズを想定しながら、預金の引出しを行いたいと日本銀行に要望し、これに応えた数字の合計です。従って、明日以降、これがどの程度の金額になるかは、日本銀行は基本的には受身です。ただ、日本銀行としては、どのような金額、地域、時間帯でそうした要望を頂いても、しっかり応えられるように万全の体制をとっています。
国民に、銀行券の供給について日銀は受身であること、銀行券のデリバリーについては万全を期していることを説明しているわけだ。金融機関は日銀当座預金の一部を引き出して銀行券を入手する。金融機関が銀行券を欲するのは、自分のところの預金者が引き出しを希望するからだ。もし日銀が銀行券の供給を絞った場合取り付け騒ぎが起こるだろう。
これは当たり前の話なのだが、この仕組みを知らない経済学業界人がいまだに散見される。中央銀行がマネタリーベースを操作する、ということから銀行券発行も中央銀行が能動的に行っていると思うのだろうが、それは現実と異なる。
翁邦雄さんの「金融政策-中央銀行の視点と選択」(東洋経済新報社、1993年刊)という本で、このことを伝統的金融論の問題点の一つとして採り上げており(同書44ページあたり)、こうした問題提起をした学者の紹介があるが、60年代のカルドアによるマネタリズム批判論文と70年代の藤野正三郎一橋大学教授によるものだけである。少なくともこの本を執筆した時点では、経済学者の間ではこのことがあまり意識されていなかったようだ。
まあ現在ではちゃんとした経済学者はこのことは承知しており、理論は理論、現実は現実でうまく使い分けているのだろうが、経済週刊誌やネットメディアあたりに雑文を寄稿している経済学業界人には本当に知らない向きがいるように思われる。
しばしば中央銀行の通貨供給として「札を刷る」とか「ヘリコプターから撒布」という比喩が使われるが、適切とは思えない。大昔の領主の発行する札などと銀行券は性格が異なる。中央銀行を核とした金融システムは人類の英知の結晶ともいえる精緻なものだと思うのだが、あまり理解されていないのは「政府紙幣」とか「国債直接引き受け」なんて話がたまに盛り上がることからもわかる。日銀の西川元彦さんという方の著書「中央銀行-セントラルバンキングの歴史と理論」(東洋経済新報社)には「信用通貨供給の実態に即した比喩を求めるとすれば、空中にある飛行機ではなく、体内にある心臓が思い浮かぶ」という記述があるが(同書38ページ)そんなイメージだろう。
