2010年9月3日金曜日

『砕かれた四月』イスマイル・カダレ

 アルバニアの作家で欧州では有名らしいが、図書館にあったので何となく読んでみた。舞台は第二次世界大戦前のアルバニア北部山岳地方のようだ。ここに住む人々は「掟」に従い生活しているが、それは復讐を是認している。ある家の者が他の家の者を殺害したとすると、血の負債を返済させるために、殺された家の者は殺した者もしくはその家の男を殺す。いつまで経っても終わりはなく両家で殺し合い続ける。面白かった『掟』はこんなもの。
・殺害した者は殺害された者の葬儀に出席しなければならない。
・殺害した者は休戦を申し出れば24時間は攻撃されない。
・更に長期の休戦を申し出て要請が受け入れられれば30日間無事だ。
・殺害された者のシャツは、その家の塔に掛けられる。血の染みが黄色くなり始めたら、それは死者が復讐を待ちわびている印だそうだ。
・殺害者は袖に黒いリボンを付ける。
・殺害した者は大公の城に赴き、血の税というものを支払わなければならない。
・血の税はなぜかすぐに受け取ってもらえず数日間待合室で待たされることもある。その間食事が出る。
・血の税は大公の收入の過半を占める。殺人が多ければ大公は潤うわけだ。
・30日の休戦後はいつ攻撃されるかわからないので、窓もない塔に閉じこもって過ごす。外に出るのは夜間だけだ。
 すごい想像力だ、面白い設定だな、これゲームにしたらいいんじゃないの、とか感じながら読んでいた。訳者あとがきにはギリシャ悲劇から着想を得たのでは?と書いてあって、そうなのかと思った。
 ところがアルバニア北部山岳地帯というのがどんなところか知りたかったので、ネットで調べていたら、この地域で復讐が実際に行われていたことがわかり戦慄した。訳者の方はフランス文学専門でアルバニア文化には不案内なのだろう(原文はアルバニア語だが、日本語版はフランス語翻訳本からのもの)。
 日本にアルバニア研究者というのがあまりいないようだが、九州芸術工科大学(現九州大学)の山本和彦さんという先生が以下のように書いている。

国家なき社会の倫理と秩序:ユーラシアを貫くマレビト思想
山本和彦(九州芸工大)
 険しい山脈-が,アドリア海に沿って,ボスニアからアルバニアまでバルカン半島を斜めに貫いている.このディナル・アルプスの一角を占める北部アルバニア山岳地帯に,第二次世界大戦終結まで部族社会が存在した.北部アルバニアの諸部族は,強固な血族共同体のもとに自治的部族社会を維持してきたが,エンベル・ホッジャ政権の誕生とともに,ヨーロッパ最後の部族社会は解体された.北部アルバニアの人々は,口承される習慣法(掟)-カヌン(kanun)に従い,社会秩序を維持してきた.カヌンの特色は,秩序維持の制裁手段として,「復讐」を是認することである.復讐は殺人に帰結するが,カヌンに規定される復讐は,明確な論理観念に支えられる.客人(マレビト)を神と見なし,共食は聖なる儀式と考え,死者の血(死霊)を恐れ,言葉の威力(言霊)進信仰からなるペイガニズム世界のそれである.カヌンに類似した「復讐の掟」を有する未開社会が,世界各地に存在する.未開社会は,血族共同体を基礎とする,明確な公的権力構造を持たないsegmentary, acephalous lineage societyである.司法制度を持たない未開社会は,復讐の無限連鎖を生じる無秩序の兆候としての暴力ではなく,暴力を封印する聖なる力として機能する.本論では,公的権力構造なき社会の特質と,秩序を形成する威力の成立と意義を,ユーラシアを貫くマレビト思想を軸に考察する.

 第二次世界大戦後にホッジャ政権が成立するまでやっていたようだ。
 更に驚いたのが、労働党(最後は社会党)が政権を失った92年以降、この復讐が復活しているとのことだ。ビデオ(AFP制作)を見ると三千人が殺されたとある。
 日本語Wikipediaにもジャクマリャという血の復讐についての項目があり、隠れるための陰鬱な塔の写真が載っている。
 なんてことだ。欧州最貧国の一つとはいえ、いまだにこんなことをやっているとは信じ難い。この小説に出てくる『掟』も空想の産物ではなく、現実に行われていたことなのではないか。山本和彦さんが15年ほど前の『情況』に寄稿しているようなので探して読んでみたくなった。